「二つの文化を生きる幸せ」
ベトナム語通訳・翻訳者 宇野 恵美氏
以下に講師プロフィール、受講生の声を掲載します。 (草薙 優加記)
講師プロフィール
1歳半の時に両親とともに祖国ベトナムを脱出し、日本に難民として定住する。大学生の時に帰化して日本国籍に。自分と同じ難民を支援する団体で働いたのち、フリーランスの通訳・翻訳者に転身。主に捜査機関における司法通訳に従事する。大学卒業後にアメリカ留学を経験。令和元年度 鶴見大学文学部の本公開講座「身近な異文化と自身のアイデンティティ」で講師を担当。
受講生の声
私は宇野さんの公開講座に参加し、多面的に物事を見ることの大切さを学びました。宇野さんのお父様の過酷な経験の話を聞いて、私は胸が苦しくなりましたが、そのような大変な境遇の中でも、宇野さんのお父様は子ども(宇野さん)により良い生活や環境を用意してあげようと必死に行動したと聞き、とても感動しました。
戦争や政権の影響で苦しい生活から脱するために、命をかけてボートピープルとして別の国を目指した話は、私には現実離れした、まるで映画の中の出来事のように思えましたが、それを実際に体験した方から直接聞いたことで、これはフィクションや噂ではなく、私たちが向き合わなければならない歴史や問題なのだと実感しました。
無事に日本に着いてからも、様々な問題に直面したと知り、大変驚きました。なかなか難民について理解してもらえず、周りからの偏見や自由のない生活に苦しめられた宇野さんたちは、文句を言ってもよいはずなのに謙虚なふるまいで日本語、日本文化と慣習を学ぶ努力を怠らないよう心掛けていたと知りました。その後、外務省の難民受け入れプログラムを通して大学に進学した宇野さんは留学を目指すものの、今度はパスポート取得や国籍という大きな問題に直面し、なかなか留学できなかったそうです。時間がかかっても、折れない強い心をもって、留学への道を手にした宇野さんは、アメリカ留学を経て、アメリカの文化について学びました。こうして、ベトナム、日本、アメリカを知った宇野さんが最後に、「様々な文化があるが、すべてを受け入れるのではなく、自分が良いと思って取り入れたいものだけを取り入れる」と言っていたのが印象に残りました。
どんなにつらい境遇でも多面的な考え方を持って相手を理解し、粘り強く耐え、最終的には周りに流されずたくさんの知識や文化から選択できるように、自分の考えを強く持つことが大切だと学びました。
本講義では、難民の方が祖国をどのように想っているのか、日本に移り住んだ後の経験、難民の方ならではの苦労など、初めて知ることが非常に多く、とても良い勉強の機会になりました。特に驚きを感じた話は、難民の方々は帰化するまでは結婚や海外渡航などといった「普通」の暮らしを送ることさえ、様々な問題に直面してしまうということでした。難民の方々は国籍を失ってしまうために大使館からのサポートを受けられず、また、役所へ自分が難民であると説明をする際にも、日本語で伝える力や通訳との繋がりがなければ、大使館へ行くように促されてしまい板挟みの状況になってしまうという事を聞き、あらためて「言葉」で相手に伝えることの難しさと大切さを感じました。宇野さんのような通訳の仕事が難民を含む多くの外国人にとって、どれほどの助けになっているのかを考えることができました。
宇野さんのお話は私にとって衝撃的なものが多かったのですが、なかには共感を覚える話もありました。それは、宇野さんのご家族が日本に移った後も積極的にベトナムの文化を取り入れ続けていらっしゃったことです。私にもタイ出身の母がおり、我が家でも言語や食事、伝統行事など、様々な事柄において2つの文化が混じり合っているため、家の外に出たら日本文化、家に帰ればベトナム文化という、宇野さんが生きてきた環境を容易に想像できました。また、宇野さんのお父様が、いつかは恵美さんをベトナムに連れて行きたい、とよく言っていたというお話からは、祖国を離れたといえども、お父様が祖国を愛し続けていたこと、そして、どちらか一方の文化を生きるのではなく、2つの文化を生きることをあえて選択されたということは、両方の文化を大切に想っているからこそできることだと感じました。
本講義は、私にとって初めて学ぶことが多い刺激的な講義となっただけでなく、今ある環境と家族を今後もずっと大切にしていきたいと思わせ、国境を越えることなく2つの文化を同時に生きることは、とても幸福なことだと考えさせられた講義となりました。
本講義では、ベトナムの1970年代の歴史背景をより詳しく学習できただけでなく、難民生活を送った方々の貴重な経験も伺うことができ、非常に良い学びになりました。私も10
歳の時に家族と一緒に日本に移住しました。父も昔、難民の1人として宇野さんのご家族が経験したことと同じような経験をしました。私も父から難民についての話を聞いたことがあったため、宇野さんのお話には共感できる部分がとても多く、時々自分の親を思い浮かべ、涙が込み上げてきました。宇野さんの話のなかでも、特にボートで海を彷徨う最中に死を覚悟しながら助けを待つ話が印象的でした。難民経験がある方だからこそ、当時起きた出来事がどれほど辛いのかを実感し、それを伝えることができるのだと思います。
1970年代にベトナムが南北分離をし、現在のベトナムでは政府が社会主義に変わったことを、「南北の統一」として、喜びと捉える人も多く存在しています。それに伴い、南側の住民の中は弾圧を受けた人も多くいますが、教育の場をはじめ、国を捨てて難民生活を送った人々の話に触れる場や機会が少なくなってしまっているのだと思います。
私はたとえどのような歴史背景があっても、それを後の世代に伝えることによって、異なる立場の人々も互いに理解を深めることが出来ると考えます。その努力が重要なのです。私も将来、この講義で学んだ事や父から教わった事を思い出し、次の世代にきちんと父の母国が辿ってきた歴史的背景を伝え、家族の母国語であるベトナム語に触れる機会を与え、多文化や多言語使用の意義を意識したいと考えています。